1987年(昭和62年)生まれの男性、
「鈴木」と申します。
「発達障害(アスペルガー障害)」(多少、ADHD傾向もあり)と
「精神疾患(2次障害)(気分変調症)」を
患っております。
現在、無職で
就労困難の医師の診断のもとに、
「障害基礎年金2級を受給」しております。
(20歳誕生日月から現在まで継続受給)
「精神保健福祉手帳(障害者手帳)2級も所持」
(10代の時から障害者手帳は所持しています。)、
2024年(令和6年)年明けから1人暮らしをしています。
僕の障害、病歴、生活歴です。
○2000年(平成12年)11月、 ・2000年(平成12年)11月頃
・中学1年の時に、 ・13歳
紹介されました。
をされます。
○2002年(平成14年)4月、 ・2002年(平成14年)4月頃
・中学3年に進級したと同時に ・14歳頃
不登校に。
・この時、「精神疾患(2次障害)(気分変調症)」
を発症
・ただ、「精神疾患(2次障害)(気分変調症)」の
診断名は
この時、ついておりませんでした。
・不登校になったことから
中学校の担任の先生を通し、
スクールカウンセラーを紹介されます。
両親2人だけで相談に行きました。
ことを
両親が話すと、
「心療内科」を紹介されました。
・この時から「心療内科への通院、服薬」を開始。
発達障害専門医が主治医でした。
・※備考、「精神疾患(2次障害)(気分変調症)」の診断名が
正式についたのは、 ・2007年(平成19年)頃
2007年(平成19年)20歳になった誕生日月に ・20歳の誕生日月
障害基礎年金を医師の勧めで請求する時 障害年金請求時
です。
・この時は都立梅ヶ丘病院の思春期外来にかかっておりました。
「障害基礎年金は認定されない」とのことでした。
・2011年(平成23年)9月頃から ・2011年(平成23年)9月頃
ようになりました。
それ以降、発達障害のみで認定される事例も増えてきております。
・社会保険労務士のサイトを何年にもわたって
見ていて感じました。
また、僕の周囲のデイケアのメンバーさんの話を聞いても
そのような印象を受けました。
認定基準は日本年金機構のサイトを参考にしてください。
・僕の当時の主治医の先生は ・2007年(平成19年)頃
その件もご存知の方だったため、 ・20歳の誕生日頃、障害年金請求時
「精神疾患(2次障害)(気分変調症)」の
診断名を
つけてくださいました。
○通院開始後、無気力状態が続き、 ・2002年(平成14年)4月頃~しばらく
布団から出られない状態でした。 ・14歳~15歳頃
○心療内科通院と同時に ・2002年(平成14年)4月~
児童相談所の担当の先生にも 2004年(平成16年)3月
相談にのってもらっていました。 ・14歳~16歳
〇2004年(平成16年)4月には ・2004年(平成16年)4月
児童相談所には行かなくなりました。 ・16歳
担当の先生が変わり、
事務的な対応しかしてもらえなくなったため。
〇ちなみに2000年(平成12年)頃から ・2000年(平成12年)頃
2004年頃(平成16年)頃の ・13歳
児童相談所の担当の先生が、
鈴木くんは
「発達障害があるかも」と
疑ったのです。
もし、この時、発達障害の診断がなければ、
ここまで良いクリニックや病院に
スムーズに
結び付かなかったかもしれません。
不幸中の幸いだったと今になり、思っております。
○2002年(平成14年)頃、 ・2002年(平成14年)4月頃~
「母は新聞配達の仕事」を 2007年(平成19年)くらいまで
しておりました。 ・14歳~20歳くらいまで
「僕もそれを手伝うとき」がありました。
そして、「お小遣い」をもらっていました。
○通院先のクリニックの主治医の先生からは ・2002年(平成14年)4月~現在
次のように言われました。 ・14歳~現在まで
「自分の好きなことをするのが治療になる」と。
当時の通院先は
東京・神田にある「明神下診療所」
この件についても
児童相談所の先生や家族は協力してくれました。
14歳~現在まで
○「青春18きっぷ」などを使い ・2002年(平成14年)4月~現在
日帰り旅行を ・14歳~現在まで
するようになります。
「その他のJRのフリーきっぷ」も使用していました。
(「土日きっぷスペシャル」や「3連休パス」など)
○2003年(平成15年)3月、 ・2003年(平成15年)3月
中学校は義務教育なため、 ・15歳
不登校ではあったものの自動的に卒業
○2003年(平成15年)3月から ・2003年(平成15年)3月~現在
「夜行列車」を利用して ・15歳~現在まで
(東海道線の夜行快速列車、ムーンライトながら号(東京駅から大垣を結ぶ)など
その他の夜行列車も)
「青春18きっぷ」を駆使した
1人旅をするようになります。
○2003年(平成15年)4月、 ・2003年(平成15年)4月~
「公立高校通信制」に入学。 2008年(平成20年)3月
・15歳~20歳
当時、高校進学ができる病状
ではありませんでした。
を勧めてくれました。
「学費がほとんどかからない点」と、
「通学日数がほぼない」、ことから
決めました。
「病気のため、2年留年」。
卒業したのは、2008年(平成20年)3月。
ちなみに、公立の高校であるためか、
障害者手帳(精神保健福祉手帳)があることにより、
教科書代は全て公費負担にしてもらえました。
当時は高校の学費は無料ではなかったものの、
公立の通信制であったためか
かなり安く済んでいました。
母も驚いていた。
○・2003年(平成15年)2月頃から、 ・2003年(平成15年)2月頃~
今までなかった、 2003年(平成15年)12月まで
「強度の被害妄想」が出るようになりました。 ・15歳~16歳頃
「統合失調症の診断はされていません」が。
・※備考、 ・2015年(平成27年頃)
このことを2015年頃(平成27年頃)、 ・27歳~28歳頃
デイケアスタッフに話すと、
診る医師によっては、そう診断する医師もいるとのこと。
特に「高齢の医師で発達障害について眼中にない医師」は
「統合失調症と誤診する可能性」もあるとのことです。
○2003年(平成15年)12月~2004年(平成16年)2月
病状が悪くなり、「都立梅ヶ丘病院に入院」。 ・2003年(平成15年)12月~
2004年(平成16年)2月
・16歳 都立梅ヶ丘病院入院中
○入院中、「退院したら仕事したい」と ・2003年(平成15年)12月~
主治医に訴えていました。 2004年(平成16年)2月
・16歳 都立梅ヶ丘病院入院中
「趣味の1人旅のお金を稼ぐため」と、
「親から自立したいという焦りの気持ち」からです。
「アルバイトしたい旨」を伝えました。
その結果、「障害者職業訓練センター(当時は池袋にあった)」を勧められました。
○2004年(平成16年)2月、退院。 ・2004年(平成16年)2月頃~
・退院後も 2007年(平成19年)まで
病状は落ち着かず ・16歳~20歳まで
20歳になるくらいまで、
不安定な日々が続きます。
〇・2004年(平成16年)2月、 ・2004年(平成16年)2月頃
「障害者職業訓練センター」で ・16歳
2日間訓練を受けました。
へとへとになり、帰ってきました。
・ただ、これがきちんとできなければ
働けません。
そういう考えが念頭にあったため、
頑張りました。
・また、担当してくれた方は ・2004年(平成16年)2月頃
「発達障害」の方を ・16歳
対応した経験がほとんどなく、
ノウハウも持っていない状況。
よって、かなりとまどっている状況でした。
・※備考、 ・2020年(令和2年)6月
2020年(令和2年)6月に ・32歳
コロナ禍でデイケアが休みになり、
時間があったため、
将来のことを考えて、
情報集めのために、
「障害者職業センター(上野)」で
担当者の方と面談をしました。
自分の現状をまとめてその文書を持参したうえで。
・※備考 2020年(令和2年)6月の時点では
「発達障害」について社会的認知は高まり、
「障害者職業訓練センター」のスタッフの方も
「発達障害」についてのノウハウも
かなり持ち合わせている状況だと感じました。
・一方で、病状的に
訓練をこなす自信もないため、
今回は面談だけして
訓練の申し込みはしませんでした。
〇2004年(平成16年)2月 ・2004年(平成16年)2月
「障害者職業訓練センター」での ・16歳
訓練が終わった後、
4月から1か月間、
本格的な訓練が始まることを伝えられました。
それも働くために参加するつもりでいました。
〇2004年(平成16年)3月、 ・2004年(平成16年)3月
アルバイト情報誌を母が見ていて、 ・16歳
短期アルバイトを募集
しているのを見つけました。
「あんたにもできるんじゃない?」ということで、
面接に行きました。
この時、僕自身、16歳。
社会の常識など全くなく、
また、発達障害の特性なのか否かわかりませんが、
面接でトラブルを起こしました。
「あなたの話し方は人のことをイライラさせる話し方をする」
とも言われました。
しかし、採用。
その後、「短期アルバイトの予期不安とプレッシャー」などから
「体調が悪くなり、キャンセル」。
○2004年(平成16年)4月 ・2004年(平成16年)4月
訓練1日目の
往路の電車の中で倒れてしまいました。
よって、参加できませんでした。
※備考、
今、考えてみると「障害者職業訓練センター」という場所は
障害がある人が短期アルバイトする人向けというよりは
就職したい人向けであると考えられます。
※備考、
また、2004年(平成16年)当時は
担当の方にも言われたのですが、
仕事を探すとき、
病気のことを言うと不採用になる可能性が高いとのこと。
ここで仕事をするマナーを身に着け、
履歴書にも問題がないような経歴をたどり、
病気であることは面接時に隠すよう言われました。
仕事をするマナーを身に着ければ、
発達障害があるにしても、
仕事を長く続けることにつながる、
こういうスタンスだったと思われます。
(申し訳ないのですが、この点については確かではありません。
当時の世の中の状況を勝手に自己分析して記載しております。)
※備考、
2004年(平成16年)4月当時は
「精神保健福祉手帳(障害者手帳)」という制度は
ありました。
ただ、障害者枠で働くという仕組みが一般的ではありませんでした。
また、「発達障害」の人に対する支援としては
「発達障害者支援法」という法律が
2004年(平成16年)12月頃、成立し、
2005年(平成17年)4月頃に施行されています。
※備考、
僕の場合、
現在の時代なら
「障害者職業訓練センター」に行った場合
次のようなアドバイスを受けると考えられます。
「発達障害」がある僕は
「障害基礎年金」をもらいながら「障害者枠」で働く
という方向で支援されると考えられます。
※備考、
2020年(令和2年)6月に
休みになっていた時、
僕は「障害者職業訓練センター」で
時間があったため、情報集めのために
面談をしました。
その際に
2004年(平成16年)2月に
検査した職業の適性の一覧表を
出していただくようお願いしました。
そして、そのデーターをもらいました。
今後、障害者雇用で働く際、
または短期アルバイト、その他アルバイトをする際や
日常生活上でも
自分の特性を見極めるために
そのデーターも参考にしたいと考えております。
○2004年(平成16年)5月、 ・2004年(平成16年)5月~2009年(平成21年)
入院していた都立梅ヶ丘病院の ・16歳~22歳
「思春期デイケア」に通所
するようになりました。
ちなみに、
僕は高等教育(高校、大学)をまともに受けてなく、
この都立梅ヶ丘病院「思春期デイケア」が
青春時代の1ページになりました。
○2004年(平成16年)7月、 ・2004年(平成16年)7月~
入院中に知り合った同年代の 2014年(平成26年)3月
鉄道好きの旧友から ・16歳~26歳
「ユースホステル(YH)」を教えてもらいました。
『日本全国のユースホステルが記載された』本
を購入します。
この頃から、「青春18きっぷ」や
「ユースホステル(YH)」、「その他の宿」、「夜行列車」を
組み合わせ、
「国内旅行をあちこちするように」なります。
2014年(平成26年)3月
くらいまでには
47都道府県足を踏み入れています。
○2007年(平成19年) ・2007年(平成19年)~現在
20歳の誕生日月に ・20歳の誕生日月~現在
医師の勧めで「障害基礎年金」を申請
2級が認められ、
現在(2024年)(令和6年)まで
継続受給しております
○2008年(平成20年)12月~ ・2008年(平成20年)12月~
2009年(平成21年)1月まで 2009年(平成21年)1月まで
郵便局で短期アルバイトをします。 ・21歳
初めてのアルバイト。
年賀状の仕分けです。
〇2013年(平成25年)12月~ ・2013年(平成25年)12月~
2014年(平成26年)1月も 2014年(平成26年)1月
同様のアルバイトをしました。 ・26歳
○2009年(平成21年) ・2009年(平成21年)
22歳になったと同時に ・22歳
都立梅ヶ丘病院の「思春期デイケア」は年齢制限で
退所になりました。
○2009年(平成21年) ・2009年(平成21年)~
デイケアを求めて、 2020年(令和2年)3月6日まで
現在(2024年)(令和6年)通院先の ・22歳~32歳
クリニックの
デイケアを利用することに。
2020年(令和2年)3月6日まで登録
しておりました。
〇2012年(平成24年)8月、 ・2012年(平成24年)8月~
同じクリニック内に 2020年(令和2年)3月12日まで
木曜日だけ参加できる ・24歳~32歳
そこに登録。
2020年(令和2年)3月12日まで
登録しておりました。
○2019年(令和元年)6月、 ・2019年(令和元年)6月~
同じクリニック内の 2020年(令和2年)1月22日まで
「ナイトケア」にも登録。 ・31歳~32歳
2020年(令和2年)1月22日まで登録
しておりました。
〇2019年(令和元年)9月、 ・2019年(令和元年)9月~12月
別のクリニックの ・31歳~32歳
をしました。
小規模デイケアです。
2019年(令和元年)11月、
12月も同様に体験利用をしました。
その結果、
デイケアのみこちらに移す
ことに決めました。
今通っているクリニック(診察先)は
人数が多くなり過ぎて、
息苦しくなってきてしまった
ためです。
また、診察を受けているクリニックは
木曜日だけ。
他の日は別のグループにも出ておりましたが、
「発達障害専門ではありません」
体験利用したクリニックは
「発達障害を専門」にしております。
開催日数も多い。
そのような理由からです。
〇2020年(令和2年)1月22日、 ・2020年(令和2年)1月22日
2019年(令和元年)6月から ・32歳
7か月ほど利用した
「ナイトケア」を卒業しました。
〇2020年(令和2年)3月6日 ・2020年(令和2年)3月6日
2009年(平成21年)から ・32歳
約10年半利用していた
「デイケアグループ」を卒業しました。
〇2020年(令和2年)3月12日、 ・2020年(令和2年)3月12日
2012年(平成24年)8月から ・32歳
約7年半利用していた
木曜日だけ開催の
○2011年(平成23年) ・2011年(平成23年)11月
初めての海外旅行に ~2019年(令和元年)10月
団体ツアーの1人参加で ・24歳~32歳
行きました。
これ以降、
現在(2024年(令和6年)2月)まで
30か国の渡航歴ができました。
●パンデミック前(2011年(平成23年)11月~2019(令和元年)10月) 24歳~32歳
(ニュージーランド、タイ、香港、マカオ、インドネシア、ハワイ、台湾、
シンガポール、香港経由で南アフリカ、ザンビア(ビクトリアの滝)ジンバブエ、ボツワナ
アメリカ西海岸(ロサンゼルス、ラスベガス、グランドキャニオンなど)、パラオ、
インド、イタリア、マレーシア、スイス、スリランカ、フィリピン、
ミャンマー、中国甘粛省(上海乗り継ぎ)、(河西回廊)、タイバンコク経由で
ネパール、ドバイ、中国東北地方(長春、ハルピン、瀋陽、丹東、金州、大連、旅順など)
ブルネイ(ボルネオ島にある国)、中国武陵源、天門山(広州乗り継ぎ))
●パンデミック後(2022年(令和4年)10月~現在(2024年(令和6年)2月)
(トルコ帰国後、コロナ感染、インド(ダージリン)インド(ラジャスタン)、モルディブ(スリランカ乗換)、フィリピンセブ島(キャバクラで楽しむ、キャバ嬢のフィリピン人女性とline交換)、フランス(アブダビ乗換)、インド(ラダック)、コタキナバル(マレーシア)、タイ(プーケット))
○2013年(平成25年)6月 ・2013年(平成25年)6月~現在
くらいから ・25歳~36歳現在まで
病状が少しずつ落ち着いてきました。
〇2011年(平成23年)11月~12月、 ・2011年(平成23年)11月~12月
病状も落ち着いていたため ・24歳
郵便局の短期アルバイトを申し込みました。
全て不採用でした。
〇2019年(令和元年)11月にも ・2019年(令和元年)11月~12月
障害年金以外にも収入が欲しい ・32歳
と考え、
郵便局の短期アルバイトを申し込みました。
履歴書を書かねばならなかったのですが、
不採用でした。
(ほぼニートと変わらない生活をしてたので、
病気のことを普通に履歴書に書きました。
障害があり、年金を受けているものの、
海外旅行に行ったりもできる病状であり、
就労意欲はある、ということを記載しました。)
〇2019年(令和元年)12月~ ・2019年(令和元年)12月~
2020年(令和2年)1月、 2020年(令和2年)1月
あるホテルで ・32歳
皿洗いの
短期のアルバイトをしました。
こちらは病気のことを正直に書いたにも関わらず、
採用され、
障害年金以外にプラスで収入を得ることができ、
新しい経験ができました。
〇2020年(令和2年)3月19日、 ・2020年(令和2年)3月19日
デイケアを変更するため ・32歳
自立支援医療の変更届を役所に提出。
これで、通院先のクリニックのデイケアは
利用できなくなりました。
〇2020年(令和2年)4月~5月 ・2020年(令和2年)4月~6月
新しく行くクリニックの ・32歳
緊急事態宣言の影響で、
5月末まで閉鎖に。
〇2020年(令和2年)6月26日 ・2020年(令和2年)6月26日~
新しく行くクリニックの 2024年(令和6年)2月現在
それ以降、定期的に通所しております。
人数が少なく、
スタッフさんも細かいところまで
対応してくれるため、
居心地が良いです。
〇2022年11月、発達障害デイケアから退所を求められるように ・2022年(令和4年)11月
なりました。 ・35歳
参加当初の平均年齢は30歳くらいだったのですが、
今後、思春期、若年成人年齢の人を中心とした
デイケアとしたいという理由からです。
ただ、次の受け入れ先が決まるまでは
居てもいいということです。
2024年(令和6年)2月時点では ・2024年(令和6年)2月
発達障害デイケアの新規受け入れは ・36歳
13歳~24歳までの人しか受け入れしていないそうです。
それ以上の年齢の人は
個別に退所を求められている状況です。
〇2024年(令和6年)年明け ・2024年(令和6年)1月
海外旅行でお金を使い果たし、 ・36歳
自分の人生を前進させるため、
生活保護受給を目的として
1人暮らしを開始しました。
〇デイケア退所を求められている件もあり、
障害基礎年金と足りない分の生活保護障害者加算含めた分もあるため、
障害者雇用で就労を目指すため、
就労支援施設を探しております。
移行支援は2年までしか利用できない縛りがあり、
都内に住んでいるので、
自分にとって良さそうだと思ったところ、
探して行きたいと思います。
〇2016年(平成28年)4月くらいから ・2016年(平成28年)4月~
僕が持っている知識を総動員して、 現在
両親の資産を増やすお手伝いをしました。 ・28歳~現在
詳細は長くなるので、後日、ここで更新します。
結果、2000万円近いお金が増えたのですが、
現在
母がお金の使い方に問題のある人なので、
短期間でお金が減り、
貯金が今、かなり少なくなっている状況です。