発達障害、デイケア、旅行、障害者職業訓練センター、 障害基礎年金、思春期デイケア、精神保健福祉手帳(障害者手帳) 不登校、海外旅行、観光ビザ、タイ国際航空、ネパール、 タイ、バンコク、スワンナプール国際空港、羽田空港、 目黒、越谷レイクタウン、モロッコ、ドバイ(UAE)、 アスペルガー障害(自閉症スペクトラム障害)青春18きっぷ、快速ムーンライトながら 発達障害デイケア、郵便局年賀状仕分け、短期アルバイト、 皿洗い短期アルバイト、日雇いバイト、タイミー、バイトレ、フルキャスト、コノヒニ、androidスマホ、iPhone、生活保護受給中、生活保護停止中、生活保護開始前のお金の有意義な使い方、都営交通無料乗車証、グルメ、

発達障害を抱えながらも毎日試行錯誤、明るく生きています

障害のあるなしに関わらず生活に役立つ情報を記載していく予定です。旅行ブログ、発達障害精神疾患などの人が使える福祉制度や支援サービス、その他生活上の工夫の仕方なども通して

https://suzukidaspe87s62.hatenablog.com/

発達障害と共に苦労した30代男性「鈴木D」の生い立ち。

1987年(昭和62年)生まれの男性、
「鈴木」と申します。

 

発達障害アスペルガー障害)」(多少、ADHD傾向もあり)と

精神疾患(2次障害)(気分変調症)」を

患っております。

 

現在、無職で

就労困難の医師の診断のもとに、

「障害基礎年金2級を受給」しております。

(20歳誕生日月から現在まで継続受給)

 

「精神保健福祉手帳(障害者手帳)2級も所持」

(10代の時から障害者手帳は所持しています。)、

2024年(令和6年)年明けから1人暮らしをしています。

 

 

僕の障害、病歴、生活歴です。
 

○2000年(平成12年)11月、           ・2000年(平成12年)11月頃

・中学1年の時に、                ・13歳

児童相談所から発達障害専門医」を

紹介されました。

 

・「アスペルガー障害(自閉症スペクトラム)」の診断

をされます。

 

○2002年(平成14年)4月、            ・2002年(平成14年)4月頃

・中学3年に進級したと同時に           ・14歳頃

不登校に。

 

・この時、「精神疾患(2次障害)(気分変調症)」

を発症

・ただ、「精神疾患(2次障害)(気分変調症)」の

診断名は

この時、ついておりませんでした。

 

不登校になったことから

中学校の担任の先生を通し、

スクールカウンセラーを紹介されます。

両親2人だけで相談に行きました。

 

・そして、「発達障害アスペルガー障害)」の診断をされた

ことを

両親が話すと、

心療内科」を紹介されました。

 

・この時から「心療内科への通院、服薬」を開始。

発達障害専門医が主治医でした。

 

・※備考、「精神疾患(2次障害)(気分変調症)」の診断名が

正式についたのは、                ・2007年(平成19年)頃

2007年(平成19年)20歳になった誕生日月に    ・20歳の誕生日月

障害基礎年金を医師の勧めで請求する時       障害年金請求時

です。

 

・この時は都立梅ヶ丘病院の思春期外来にかかっておりました。

当時は「発達障害アスペルガー障害)という診断名だけ」だと

「障害基礎年金は認定されない」とのことでした。

 

・2011年(平成23年)9月頃から             ・2011年(平成23年)9月頃

発達障害障害年金の対象疾患に含められる」      ・23歳

ようになりました。

それ以降、発達障害のみで認定される事例も増えてきております。

 

社会保険労務士のサイトを何年にもわたって

見ていて感じました。

また、僕の周囲のデイケアのメンバーさんの話を聞いても

そのような印象を受けました。

 

認定基準は日本年金機構のサイトを参考にしてください。

 

・僕の当時の主治医の先生は         ・2007年(平成19年)頃

その件もご存知の方だったため、       ・20歳の誕生日頃、障害年金請求時

精神疾患(2次障害)(気分変調症)」の

診断名を

つけてくださいました。

 

○通院開始後、無気力状態が続き、      ・2002年(平成14年)4月頃~しばらく

布団から出られない状態でした。       ・14歳~15歳頃

 

心療内科通院と同時に           ・2002年(平成14年)4月~

児童相談所の担当の先生にも         2004年(平成16年)3月

相談にのってもらっていました。       ・14歳~16歳

 

〇2004年(平成16年)4月には       ・2004年(平成16年)4月

児童相談所には行かなくなりました。     ・16歳

担当の先生が変わり、

事務的な対応しかしてもらえなくなったため。

 

〇ちなみに2000年(平成12年)頃から    ・2000年(平成12年)頃

2004年頃(平成16年)頃の         ・13歳

児童相談所の担当の先生が、         

 

鈴木くんは

発達障害があるかも」と

疑ったのです。

 

もし、この時、発達障害の診断がなければ、

ここまで良いクリニックや病院に

スムーズに

結び付かなかったかもしれません。

不幸中の幸いだったと今になり、思っております。

                                 

○2002年(平成14年)頃、           ・2002年(平成14年)4月頃~

「母は新聞配達の仕事」を           2007年(平成19年)くらいまで

しておりました。              ・14歳~20歳くらいまで

 

「僕もそれを手伝うとき」がありました。

そして、「お小遣い」をもらっていました。

 

 

○通院先のクリニックの主治医の先生からは   ・2002年(平成14年)4月~現在

次のように言われました。           ・14歳~現在まで

「自分の好きなことをするのが治療になる」と。
当時の通院先は
東京・神田にある「明神下診療所」

 

この件についても

児童相談所の先生や家族は協力してくれました。

14歳~現在まで

 

○「青春18きっぷ」などを使い        ・2002年(平成14年)4月~現在

日帰り旅行を                ・14歳~現在まで

するようになります。  

 

「その他のJRのフリーきっぷ」も使用していました。

(「土日きっぷスペシャル」や「3連休パス」など)

 

○2003年(平成15年)3月、         ・2003年(平成15年)3月

中学校は義務教育なため、           ・15歳

不登校ではあったものの自動的に卒業

 

○2003年(平成15年)3月から      ・2003年(平成15年)3月~現在

「夜行列車」を利用して          ・15歳~現在まで

東海道線の夜行快速列車、ムーンライトながら号(東京駅から大垣を結ぶ)など

その他の夜行列車も)

青春18きっぷ」を駆使した

1人旅をするようになります。

 

 

○2003年(平成15年)4月、          ・2003年(平成15年)4月~

「公立高校通信制」に入学。          2008年(平成20年)3月

                       ・15歳~20歳

当時、高校進学ができる病状

ではありませんでした。

しかし、児童相談所の先生が「通信制高校

を勧めてくれました。

「学費がほとんどかからない点」と、

「通学日数がほぼない」、ことから

決めました。

 

「病気のため、2年留年」。

卒業したのは、2008年(平成20年)3月。

ちなみに、公立の高校であるためか、
障害者手帳(精神保健福祉手帳)があることにより、
教科書代は全て公費負担にしてもらえました。

当時は高校の学費は無料ではなかったものの、
公立の通信制であったためか
かなり安く済んでいました。
母も驚いていた。

 

 

 

○・2003年(平成15年)2月頃から、      ・2003年(平成15年)2月頃~

今までなかった、                2003年(平成15年)12月まで

「強度の被害妄想」が出るようになりました。   ・15歳~16歳頃

統合失調症の診断はされていません」が。

 

・※備考、                   ・2015年(平成27年頃)

このことを2015年頃(平成27年頃)、      ・27歳~28歳頃

デイケアスタッフに話すと、            

診る医師によっては、そう診断する医師もいるとのこと。

特に「高齢の医師で発達障害について眼中にない医師」は

統合失調症と誤診する可能性」もあるとのことです。

 

 

○2003年(平成15年)12月~2004年(平成16年)2月

病状が悪くなり、「都立梅ヶ丘病院に入院」。    ・2003年(平成15年)12月~

                       2004年(平成16年)2月

                      ・16歳 都立梅ヶ丘病院入院中

○入院中、「退院したら仕事したい」と     ・2003年(平成15年)12月~

主治医に訴えていました。           2004年(平成16年)2月

                      ・16歳 都立梅ヶ丘病院入院中

「趣味の1人旅のお金を稼ぐため」と、

「親から自立したいという焦りの気持ち」からです。

「アルバイトしたい旨」を伝えました。

 

その結果、「障害者職業訓練センター(当時は池袋にあった)」を勧められました。

 

○2004年(平成16年)2月、退院。          ・2004年(平成16年)2月頃~

・退院後も                     2007年(平成19年)まで

病状は落ち着かず                 ・16歳~20歳まで

20歳になるくらいまで、

不安定な日々が続きます。

 

〇・2004年(平成16年)2月、          ・2004年(平成16年)2月頃

「障害者職業訓練センター」で           ・16歳

2日間訓練を受けました。

へとへとになり、帰ってきました。

 

・ただ、これがきちんとできなければ

働けません。

そういう考えが念頭にあったため、

頑張りました。

 

・また、担当してくれた方は            ・2004年(平成16年)2月頃

発達障害」の方を                ・16歳

対応した経験がほとんどなく、

ノウハウも持っていない状況。

よって、かなりとまどっている状況でした。

 

・※備考、                    ・2020年(令和2年)6月

2020年(令和2年)6月に             ・32歳

コロナ禍でデイケアが休みになり、

時間があったため、

将来のことを考えて、

情報集めのために、

障害者職業センター(上野)」で

担当者の方と面談をしました。

自分の現状をまとめてその文書を持参したうえで。

 

・※備考  2020年(令和2年)6月の時点では

発達障害」について社会的認知は高まり、

「障害者職業訓練センター」のスタッフの方も

発達障害」についてのノウハウも

かなり持ち合わせている状況だと感じました。

 

・一方で、病状的に

訓練をこなす自信もないため、

今回は面談だけして

訓練の申し込みはしませんでした。

 

〇2004年(平成16年)2月          ・2004年(平成16年)2月

「障害者職業訓練センター」での        ・16歳

訓練が終わった後、

4月から1か月間、

本格的な訓練が始まることを伝えられました。

それも働くために参加するつもりでいました。

 

〇2004年(平成16年)3月、         ・2004年(平成16年)3月

アルバイト情報誌を母が見ていて、       ・16歳

短期アルバイトを募集

しているのを見つけました。

「あんたにもできるんじゃない?」ということで、

面接に行きました。

 

この時、僕自身、16歳。

社会の常識など全くなく、

また、発達障害の特性なのか否かわかりませんが、

面接でトラブルを起こしました。

 

「あなたの話し方は人のことをイライラさせる話し方をする」

とも言われました。

しかし、採用。

 

その後、「短期アルバイトの予期不安とプレッシャー」などから

「体調が悪くなり、キャンセル」。

 

○2004年(平成16年)4月          ・2004年(平成16年)4月

「障害者職業訓練センター」の職業訓練は    ・16歳

訓練1日目の

往路の電車の中で倒れてしまいました。

よって、参加できませんでした。

 

※備考、

今、考えてみると「障害者職業訓練センター」という場所は

障害がある人が短期アルバイトする人向けというよりは

就職したい人向けであると考えられます。

 

※備考、

また、2004年(平成16年)当時は

担当の方にも言われたのですが、

仕事を探すとき、

病気のことを言うと不採用になる可能性が高いとのこと。

 

ここで仕事をするマナーを身に着け、

履歴書にも問題がないような経歴をたどり、

病気であることは面接時に隠すよう言われました。

 

仕事をするマナーを身に着ければ、

発達障害があるにしても、

仕事を長く続けることにつながる、

こういうスタンスだったと思われます。

(申し訳ないのですが、この点については確かではありません。

当時の世の中の状況を勝手に自己分析して記載しております。)

 

※備考、

2004年(平成16年)4月当時は

「精神保健福祉手帳(障害者手帳)」という制度は

ありました。

ただ、障害者枠で働くという仕組みが一般的ではありませんでした。

 

また、「発達障害」の人に対する支援としては

発達障害者支援法」という法律が

2004年(平成16年)12月頃、成立し、

2005年(平成17年)4月頃に施行されています。

 

※備考、

僕の場合、

現在の時代なら

「障害者職業訓練センター」に行った場合

次のようなアドバイスを受けると考えられます。

発達障害」がある僕は

「障害基礎年金」をもらいながら「障害者枠」で働く

という方向で支援されると考えられます。

 

※備考、

2020年(令和2年)6月に

デイケア新型コロナウイルスの緊急事態宣言で

休みになっていた時、

僕は「障害者職業訓練センター」で

時間があったため、情報集めのために

面談をしました。

 

その際に

2004年(平成16年)2月に

検査した職業の適性の一覧表を

出していただくようお願いしました。

そして、そのデーターをもらいました。

 

今後、障害者雇用で働く際、

または短期アルバイト、その他アルバイトをする際や

日常生活上でも

自分の特性を見極めるために

そのデーターも参考にしたいと考えております。

 

○2004年(平成16年)5月、  ・2004年(平成16年)5月~2009年(平成21年)

入院していた都立梅ヶ丘病院の      ・16歳~22歳

「思春期デイケア」に通所

するようになりました。

 

ちなみに、

僕は高等教育(高校、大学)をまともに受けてなく、

この都立梅ヶ丘病院「思春期デイケア」が

青春時代の1ページになりました。

 

○2004年(平成16年)7月、        ・2004年(平成16年)7月~

入院中に知り合った同年代の          2014年(平成26年)3月

鉄道好きの旧友から             ・16歳~26歳

ユースホステル(YH)」を教えてもらいました。

 

『日本全国のユースホステルが記載された』本

を購入します。

 

この頃から、「青春18きっぷ」や

ユースホステル(YH)」、「その他の宿」、「夜行列車」を

組み合わせ、

「国内旅行をあちこちするように」なります。

 

2014年(平成26年)3月

くらいまでには

47都道府県足を踏み入れています。

 

○2007年(平成19年)          ・2007年(平成19年)~現在

20歳の誕生日月に            ・20歳の誕生日月~現在

医師の勧めで「障害基礎年金」を申請

2級が認められ、

現在(2024年)(令和6年)まで

継続受給しております

 

○2008年(平成20年)12月~      ・2008年(平成20年)12月~

2009年(平成21年)1月まで       2009年(平成21年)1月まで 

郵便局で短期アルバイトをします。    ・21歳

初めてのアルバイト。

年賀状の仕分けです。

 

〇2013年(平成25年)12月~      ・2013年(平成25年)12月~

2014年(平成26年)1月も        2014年(平成26年)1月

同様のアルバイトをしました。      ・26歳

 

○2009年(平成21年)         ・2009年(平成21年)

22歳になったと同時に          ・22歳

都立梅ヶ丘病院の「思春期デイケア」は年齢制限で

退所になりました。

 

○2009年(平成21年)         ・2009年(平成21年)~

デイケアを求めて、           2020年(令和2年)3月6日まで

現在(2024年)(令和6年)通院先の    ・22歳~32歳

クリニックの

デイケアを利用することに。

2020年(令和2年)3月6日まで登録

しておりました。

 

〇2012年(平成24年)8月、      ・2012年(平成24年)8月~

同じクリニック内に          2020年(令和2年)3月12日まで

木曜日だけ参加できる         ・24歳~32歳

発達障害デイケア」ができました。

そこに登録。

 

2020年(令和2年)3月12日まで

登録しておりました。

 

○2019年(令和元年)6月、      ・2019年(令和元年)6月~

同じクリニック内の           2020年(令和2年)1月22日まで

「ナイトケア」にも登録。       ・31歳~32歳

2020年(令和2年)1月22日まで登録

しておりました。

 

〇2019年(令和元年)9月、      ・2019年(令和元年)9月~12月

別のクリニックの           ・31歳~32歳

発達障害デイケア」の体験利用

をしました。

小規模デイケアです。

 

2019年(令和元年)11月、

12月も同様に体験利用をしました。

 

その結果、

デイケアのみこちらに移す

ことに決めました。

 

今通っているクリニック(診察先)は

人数が多くなり過ぎて、

息苦しくなってきてしまった

ためです。

 

また、診察を受けているクリニックは

発達障害デイケア」もありますが

木曜日だけ。

 

他の日は別のグループにも出ておりましたが、

発達障害専門ではありません」

 

体験利用したクリニックは

発達障害を専門」にしております。

開催日数も多い。

そのような理由からです。

 

〇2020年(令和2年)1月22日、      ・2020年(令和2年)1月22日

2019年(令和元年)6月から         ・32歳

7か月ほど利用した

「ナイトケア」を卒業しました。

 

〇2020年(令和2年)3月6日       ・2020年(令和2年)3月6日

2009年(平成21年)から         ・32歳

約10年半利用していた

デイケアグループ」を卒業しました。

 

〇2020年(令和2年)3月12日、     ・2020年(令和2年)3月12日

2012年(平成24年)8月から       ・32歳

約7年半利用していた

木曜日だけ開催の

発達障害デイケア」を卒業しました。

 

○2011年(平成23年)        ・2011年(平成23年)11月

初めての海外旅行に          ~2019年(令和元年)10月

団体ツアーの1人参加で        ・24歳~32歳

行きました。

 

これ以降、

現在(2024年(令和6年)2月)まで

30か国の渡航歴ができました。

 ●パンデミック前(2011年(平成23年)11月~2019(令和元年)10月) 24歳~32歳

ニュージーランド、タイ、香港、マカオインドネシア、ハワイ、台湾、

シンガポール、香港経由で南アフリカザンビア(ビクトリアの滝)ジンバブエボツワナ

アメリカ西海岸(ロサンゼルス、ラスベガス、グランドキャニオンなど)、パラオ

インド、イタリア、マレーシア、スイス、スリランカ、フィリピン、

中国四川省カタール経由でモロッコベトナムカンボジア

ミャンマー、中国甘粛省(上海乗り継ぎ)、(河西回廊)、タイバンコク経由で

ネパール、ドバイ、中国東北地方(長春、ハルピン、瀋陽、丹東、金州、大連、旅順など)

ブルネイボルネオ島にある国)、中国武陵源、天門山(広州乗り継ぎ))


パンデミック後(2022年(令和4年)10月~現在(2024年(令和6年)2月)
(トルコ帰国後、コロナ感染、インド(ダージリン)インド(ラジャスタン)、モルディブスリランカ乗換)、フィリピンセブ島(キャバクラで楽しむ、キャバ嬢のフィリピン人女性とline交換)、フランス(アブダビ乗換)、インド(ラダック)、コタキナバル(マレーシア)、タイ(プーケット))

 

○2013年(平成25年)6月        ・2013年(平成25年)6月~現在

くらいから              ・25歳~36歳現在まで      

病状が少しずつ落ち着いてきました。

 

〇2011年(平成23年)11月~12月、  ・2011年(平成23年)11月~12月

病状も落ち着いていたため        ・24歳

郵便局の短期アルバイトを申し込みました。

全て不採用でした。

 

〇2019年(令和元年)11月にも     ・2019年(令和元年)11月~12月

障害年金以外にも収入が欲しい      ・32歳

と考え、

郵便局の短期アルバイトを申し込みました。

履歴書を書かねばならなかったのですが、

不採用でした。

(ほぼニートと変わらない生活をしてたので、

病気のことを普通に履歴書に書きました。

 

障害があり、年金を受けているものの、

海外旅行に行ったりもできる病状であり、

就労意欲はある、ということを記載しました。)

 

 

〇2019年(令和元年)12月~    ・2019年(令和元年)12月~

2020年(令和2年)1月、      2020年(令和2年)1月 

あるホテルで            ・32歳

皿洗いの

短期のアルバイトをしました。

 

こちらは病気のことを正直に書いたにも関わらず、

採用され、

障害年金以外にプラスで収入を得ることができ、

新しい経験ができました。

 

〇2020年(令和2年)3月19日、  ・2020年(令和2年)3月19日

デイケアを変更するため       ・32歳

自立支援医療の変更届を役所に提出。

 

これで、通院先のクリニックのデイケア

利用できなくなりました。

 

〇2020年(令和2年)4月~5月      ・2020年(令和2年)4月~6月

新しく行くクリニックの       ・32歳

発達障害デイケア」は

新型コロナウイルス

緊急事態宣言の影響で、

5月末まで閉鎖に。

 

〇2020年(令和2年)6月26日   ・2020年(令和2年)6月26日~

新しく行くクリニックの       2024年(令和6年)2月現在

発達障害デイケア」に初参加です。 ・32歳~36歳

それ以降、定期的に通所しております。

 

人数が少なく、

スタッフさんも細かいところまで

対応してくれるため、

居心地が良いです。


〇2022年11月、発達障害デイケアから退所を求められるように  ・2022年(令和4年)11月
なりました。                         ・35歳
参加当初の平均年齢は30歳くらいだったのですが、
今後、思春期、若年成人年齢の人を中心とした
デイケアとしたいという理由からです。
ただ、次の受け入れ先が決まるまでは
居てもいいということです。

2024年(令和6年)2月時点では                ・2024年(令和6年)2月
発達障害デイケアの新規受け入れは              ・36歳
13歳~24歳までの人しか受け入れしていないそうです。

それ以上の年齢の人は
個別に退所を求められている状況です。

〇2024年(令和6年)年明け                  ・2024年(令和6年)1月
海外旅行でお金を使い果たし、                 ・36歳
自分の人生を前進させるため、
生活保護受給を目的として
1人暮らしを開始しました。

デイケア退所を求められている件もあり、
障害基礎年金と足りない分の生活保護障害者加算含めた分もあるため、
障害者雇用で就労を目指すため、
就労支援施設を探しております。

移行支援は2年までしか利用できない縛りがあり、
都内に住んでいるので、
自分にとって良さそうだと思ったところ、
探して行きたいと思います。


 

〇2016年(平成28年)4月くらいから ・2016年(平成28年)4月~

僕が持っている知識を総動員して、    現在

両親の資産を増やすお手伝いをしました。 ・28歳~現在

 

詳細は長くなるので、後日、ここで更新します。

 

結果、2000万円近いお金が増えたのですが、

 

現在

母がお金の使い方に問題のある人なので、

短期間でお金が減り、

貯金が今、かなり少なくなっている状況です。

https://suzukidaspe87s62.hatenablog.com/